インドにいます。

2014年9月より周りに畑しかないインドの大学で(いちよう住所はデリー)伝統医学アーユルヴェーダを学んでいます。インド政府(ICCR)奨学生。 BAMS (Bachelor of Ayurveda Medicine and Surgery)という5年半のコースに在学中。現在最終学年。次の試験に受かれば研修医。こんにちは。

寮と犬たちと私。

私たちの寮にはいつも犬がいる。

正確にいうと、ある日突然犬が来て
しばらく一緒に過ごして
心が通じ合って友達になって
家族のようになって
色んな理由でこの世から去っていく。
そして、すぐにまた別の知らない犬が突然やってくる。
それの繰り返し。

だからいつも犬がいるのだ。

今までの亡くなっていった犬たち
スヌーピー
ブラックマザー(母犬)
ペコ
スポッティ—
ブーティー
ランボー
YURERU(色々な身体の部位がゆれてたから。つい1週間前くらいに亡くなった)

だいたいみんなやせ細った状態でどこからか寮にやってきて
私たちの残りのご飯で身体が大きくなっていった。

亡くなった理由は様々で、
ゲートに首をはさんでしまったり
伝染病にかかったり
すさまじいケンカが原因だったり。

大学の教室まで着いて来たり
道ばたで飛びつかれたり
色々大変なこともあったけれど
テスト勉強や人間関係など極度のストレス状態の時には
いつも話を聞いて癒してくれた。
いっぱい助けられたなー。

で、彼らが亡くなる前にはちょっとした共通点があった。
痛みや辛さでよろよろになりながら
挨拶をするかのように私たちのところにやってくるのだ。
足を触ったりなめたりする子もいた。

その後、泣き叫んでいた声がやみ
やっと眠れたんだよかったーと思いその場を去ると、
その20分くらいに亡くなったことを知る
といった次第だ。

彼らは絶対に自分がいつ亡くなるかわかってる。
そして亡くなる場所を選んでいる。

いつも彼らが亡くなったときには
ありがとうという気持ちと
もっと何かできたんじゃないかって気持ちと
この寮に来て私たちと過ごしてあなたの暮らしは幸せだった?
と聞きたくなる。

亡くなる前と亡くなった後
同じ物体なのにまるで違う。
まさに魂がぬけたという感じ。
始めは悲しい気持ちが強かったけれど、今は不思議が強い。
生きると死ぬは紙一重。
そして何か去れば、何かやってくる。
そういうものなのだ。

YURERUは急に姿が見えなくなり、
1週間後くらいに傷だらけでぼろぼろになって帰って来た。
ひどい喧嘩をしたようだった。
ご飯も食べられず痛さに1日中泣き叫んでいたので
夕方にお肉のスープを作っていたらその最中に亡くなった。

あっという間に寮の裏庭に穴が掘られて
体の上に一袋の塩がまかれ埋められた。
わたしたちの知ってる彼はその穴の中にはいない。
でも、お肉のスープも一緒に入れた。

ーーーー
今までこの寮に来てくれた彼らと
今この寮で暮らしているスリーピングピル(いつも寝てるから)とブラックレディの幸せを切に願う。


前世とか今世とか来世とか。

最近は大学で大変なことが色々あって、留学生たちが窮地に立たされている。

問題がひとつだけではなくて一つ解決した側からまた新たな問題が生まれるというように、偶然という言葉で片付けるにはおかしいだろというようなことが次から次へと起きていて。みんなで落ち込んだり憤ったり。今は絶対みんな悪い星の元にいるとの結論になった。

こっちにいると前世とか星の巡りとかの話がよくでてくる。
ヒンドゥー教でも仏教でもカルマ(業って言うのかな)の考え方がある。

簡単に言えば、
前世に悪い行いをすれば今世で
今世で悪い行いをすれば、今世のどこかでまたは来世その報いを受けるというもの。

スリランカ仏教の考え方(お釈迦様の教え)だと、
今世で良い行いをすれば来世も人間に生まれることが出来るし、
逆に悪い行いをすれば来世は動物とかになり、人間に生まれることは出来ない。

人間は動物と違って自分で考え行動でき、
いい行いをすることでカルマを解消することができるため
最も尊いとされている。

で、悪いことが立て続けに起こったときには
あーーーー前世または今世で悪いことしたから
今こんなに悪いこと起きてるんだなんて言ったりする。

逆に誰かが自分にひどいことをしたとしても、
復讐してやるとか思っちゃいけない。
自分のカルマが増えるだけなので。
というか、ひどいことをした誰かはいつか勝手に報いを受けるので
自ら何かする必要は全くない。

スリランカ人のルームメイトはカルマを増やさないために
いくら蚊が彼女の血を吸っていたとしても、絶対に殺さない。
故意ではなく殺してしまった場合は問題ないのだが
殺意の上で殺した場合カルマが増えるそうなのだ。
(わたしは時々耐えきれずに殺してしまって、順調にカルマを増やしていますごめんなさい…)

こんな感じの考え方がこっちでは普通なのだ。
日本だとこういう考え方はあるのかな?
あ、でも最近「前前前世」って曲人気だったよね。

そういえば私の中学校の卒業論文「死後の世界」だった…
今思えば完全にやばいやつじゃん。
その頃、真剣に毎日人間は死んだ後にどうなってしまうんだろうって疑問だった。身体がどうなるとかではなくて、私たちの意識(今考えることができる気持ち)がどこに行ってしまうのか消えてなくなるのか。めちゃめちゃ考えて、古代エジプトの考え方とか仏教の考え方とか色々調べてたなー。
というかそれっぽい答えを出しているのは宗教だけだったんだけど、そもそも宗教って死への恐怖をなくすために生まれたものなのかな?
…まあいいや。


で、大学での立場に苦しんでいる状況で
マレーシア人の後輩がこんなことを言っていた。
「今世で会う人たちは前世で解決できなかった問題を解決するために、もう一度会ってるらしいよ」
なるほどー。となると、
わたしたち留学生はこの大学に来てから数々の困難に直面してきたんだけど
前世でも何か問題があって未解決のまま、今世に来たようだ。

冷静に考えてみると、世界中で全然違う生活を送っていた私たち
(各国から11人の留学生。今は2人卒業して9人)が
なぜか希望に出していない大学に政府の奨学金で学ばせてもらえるようになって
5年以上共に生活して苦しみ続けてるっておかしいよね。

前世一緒になって悪さでもしたのでしょうか。
今世で彼らとのカルマ解消できるといいなー。
もう一回は耐えられない…



近づく終わりと葛藤

大変ご無沙汰しております。
2年くらい何も書いていなかったみたい。

色々あったなあ。なんだかんだ。
もがきあがいて最終学年になりました
残す進級試験はあとひとつ。
それに通れば曲がりなりにも研修医。
順調に行けば2年以内にここを去る。

入学時には、信じられないほど遠くに見えた卒業という二文字が見え始めている。
手に取れるかはわたしの頑張り次第。

でも、ここ最近は馬力が全く出ない。
怠け放題のだめだめ。
季節の変わり目で体調崩しまくってるっていうのもあるけど、
卒業した後のことを考えると疑問だらけで、歩みが止まる。

まず、わたしが今大学で学んでいるのはシラバスのアーユルヴェーダで、
伝統的なそれではない。
(試験にいい点数で受かる=いいアーユルヴェーダ医という訳では断じてない)
自分が”得たかった”知識がちゃんと得られてないことに対するもやもや。

あと大学病院で行われている治療は、基本的にアーユルヴェーダの薬を処方すること。
日本に帰った後に、薬を処方することができない私に何ができるだろうと考える日々。(インドではアーユルヴェーダの医師免許が使えるけれど、日本では使えない)

シンプルにターメリックとかショウガとかは使えるけれど、やはりできることはとても限られている。インドにいたら治せるものが日本では手を出せないという葛藤。

週末だけカラリパヤットゥ(南インドの伝統武術)の師匠のところで武術を学び、ちょっとばかり治療を見させてもらっているけど、時間が全然足りない。近年はお金を払えば1週間で1か月コースで何かが学べる時代だけれど、伝統はそうではない。
長い間師匠と共に過ごし、信頼関係を築き、鍛錬を重ね…それで認められたらやっと少しずつ師匠が弟子に教えてくれる。それは数ヶ月ではなく数年いや何十年の時間が必要。どんなに教えてもらいたくても学びたくても、何年も師匠の元にいても、資質が認められなければ教えてもらえないこともある。そんな世界だ。ましては私は外国人。

若いうちにこの世界に出会っていればと悔やむことも何度もあるけれど、時間は元に巻き戻せないし、人種は変えられないし、来世まで待てないので。今できることをやるしかないのだよね。


理論理論+安かろう悪かろうの政府病院で学べることは限られてるので
もっとアーユルヴェーダを実践的に勉強したいし、
カラリパヤットゥのレベルを高めたいし、
なんの道具もいらないマルマ療法をちゃんと学びたいし、
やっぱり卒業後もインドで数年経験を積みたいと思うけれど
卒業時にはほぼ30歳の私にはそんなに時間が残されていない。
インドに永住する予定はないし笑

なにより人生の大事な時期を犠牲にして、
劣悪な環境の中で学んだ知識で
人にしっかり貢献したい。
じゃなきゃ私が生まれて来た意味はない。

講師として生きる道もあるかもしれないけれど、
私は臨床で生きたいのだよなあ。
日本に戻るなら制約の中で何ができるか…
まだまだ答えがでないでいる。

f:id:kuroooomi:20180118174911p:plain

卒業して母国へ帰って行った先輩たちと。

 

マレーシア人は日本人のことが嫌いだ。

今日、夜ご飯を作っていたら突然マレーシアの先輩に
「マレーシア人は日本人のことが嫌いだ」
と言われた。

といっても今は結構日本人も住んでるし、
若い世代はそんなこともないけど
戦争を経験した年寄り世代は大嫌いだと。

マレーシア人がそんなことを思っていたなんて知らなかったので、
驚いたのと勉強不足を恥じた。

先輩とは2年間一緒に住んでるけど、初めて言われたから
たぶん心の中でずっとしこりみたいなものがあったんじゃないかなあ。

先輩によると、
戦争の時代にイギリスがマレーシアを占領していた。
イギリスはインドを支配したように中国人(商人)、ムスリム人、マレー人…と
上手く人々を分けて統治していた。

ところがその後日本が侵略し、イギリスは撤退。
その日本の支配がひどかったようで。
イギリスの上手かった支配方法をぐちゃぐちゃにし、
多くの人を殺すは、レイプするは、中国人いじめとひどいものだったようです。

インターネットを日本語で読むと、
日本のおかげでマレーシアはイギリスから独立できたんだという賞賛の声と
日本の残虐すぎる支配でとても苦しんだ。イギリスの支配の方が断然良かった。
という意見がででてきますが

先輩はおばあさん世代から直接その話を聞いているので、
後者が歴史上の事実なのでしょう。

教科書では「日本軍がイギリスを破り、マレーシアを占領することに成功した。」
とだけ書かれ現地でその後何が起こったのかは書かれていなかった気がします。

歴史とはやはりその国にとって都合のよいように書かれており、
真実を教科書からつかむのは難しい。

きっと日本軍は戦時中、様々な残虐なことをしてきたんでしょう。
自分の国のやってきたことを正答化するのは楽だけれど、
ちゃんと史実を知りたい。
一歩外の世界に出れば
彼らの行為を直接受けて苦しんだ人たちは
日本人はそういう残虐な民族だと認識していることは紛れもない事実です。

外国に住む日本人として、
自分の国が過去に何をしたかを知ることはとても大切。
そして間違った行為は必ず未来の人や環境に悪い影響を与えるのだと実感した日でした。

Bye Bye Blacky...

f:id:kuroooomi:20160721175006j:plain

 

写真は寮に住んでた子犬。黒いからBlacky。
1月前くらいに8匹生まれた子犬のうちのひとり。

ここに来てから初めて心を開いた友達で、彼も他の人には開かない心を開いてくれた。
試験中にストレスでぎりぎりの時に、とことこって部屋に来て一緒にいてくれた
りちょっと口臭かったけど彼には本当に助けられた。

今日、知らぬ間に警備員のおじさんとその友達がやって来てお家に持って帰ったらしい。昨日は寮の床でうんこする彼を追っかけ回してたし、今朝目があったけど、おはようも言わなかったよ…後悔。

最後なんて突然あっけなく来るものね。
Bye bye best friend

おじさんの家で幸せに生きるんだよー!



メモと目標。

久しぶりに父親と話して、学ぶそして生きる姿勢を変えねばと思ったのでメモ。


勉強編

・もう2年経ったんだから、試験なんて余裕で通るくらいにならなくちゃ。弱音を吐いてるようじゃまだまだ。精神的に未熟すぎ。
・テスト前に一気に頭に入れるのは、勉強ではない。
・勉強は(勉強だけじゃなく何かを身につけるということは)毎日のとてつもなく地味な積み重ね。でも息切れするような肩に力が入ったやり方ではなく、リラックスしてストレスが一切ない。毎日毎日。でもやり続ける。もう何も変わらないんじゃないかと思った時に、初めて違う世界が見える。
・例えば父は3000冊くらいの本を読んだ後に、始めは点と点だった知識とか思考が繋がり始めた。
・高いレベルに行きたいなら基礎をやり込め。

プロゲーマーの梅原さんの本をよく読むのだけれど、そこにも同じようなことが書いてあった。

トンネルの中で得た動作や知識は、それぞれが独立していて、バラバラのように思える。もちろん、個々の動作や知識は、自分のものになっている。
 真っ暗闇が終わるときは、それらがすべて、有機的にがっちりと自分の中でつながる感覚になる。同時に、そのゲームとは直接関係ないはずの感覚や経験、教訓も、一緒に再編成されていく。1秒くらいの間に、脳がピーンと来る感覚になる。そして、疑問だったこと、不思議に思えたことすべてに、答えが導けるようになる。なるほど、そうだったのか、という気持ちになる。
 そして、自分よりもずいぶん早い時期にトンネルを抜けたはずのライバルよりもずっと理解が深い。
 そこまでには、随分な時間がかかる。でも、たどり着いたら一瞬で景色が開ける。そして、そこに行き着けた時の感覚は、ただただ、喜びしかない。

この景色を見たい。

というわけでこの一年の目標設定。勉強編。

・ヒンディー語
  日常会話がスムーズになることと、本が読めるようになること。アーユルヴェーダの英語の教科書は正直いいのがあまりない。授業もヒンディー語なのでわからないと多くを失う。ちゃんとした知識を得るにはヒンディー語での理解は必須と最近痛感してる。

・英語
  留学生同士の限られた語彙なら問題ないけど、ネイティブの映画とかニュースサイトとかわからない語彙が多い。ので、医学英語だけでなくそちらも高める。

・サンスクリット語
  上にも書いたように、英語の本は誤訳が多いので自分で直接古典書を読み込めるようにレベルあげる。基礎からもう一度やり直そうと思う。重要な詩の暗唱も。

・勉強の仕方
       テスト前に追い込むような勉強ではなく、毎日地味に地味に勉強し続ける。持久力。(古典書に勉強の仕方が書いている章があるんだけど、朝早く起きて詩の暗唱からはじめて、夜まで休みなしに勉強すると書いてある。昔の人はどれだけ体力、持久力があったんだろうか。それとその世界に全てを捧げる力強い意志があったんだろうな。)



人間関係編

・一重構造と二重構造の人間

・一重構造→怒りだったり感情を包み隠さずぶつける
 二重構造→自分の感情は自分で処理できる

・二重構造だけど未熟な人が多い
・気分次第で感情をぶつけてくる人だらけなんだけど…
  →自分で自分の感情を処理できずに周りにぶつけることで、自分のストレスをぶつけているかわいそうな人だなあと哀れみの目で見るだけ。影響を受けるだけ無駄。
・かく言うわたしもまだまだ未熟な二重構造。精神的に成長しなきゃだめ。
・他の人を柔軟に受け入れつつも、核にある「自分」は絶対に捨てない。
・人のレベルに下げる必要は全くない。
・周りが何であろうがどうであろうが、惑わされない強さを持つ。
・自分の感情を文字にして整理する。
・人は変われる。実は、変わりたいか変わりたくないかだけ。
・自信がいつもない
 →自信は何かが達成できてから得られるものではない。自己肯定感はいつ何時でもあるもの。


というわけで、1年の目標。人間関係編。

周りが嵐であろうと、影響されない強さを持つ。
自分の感情(怒りであろうと悲しみであろうと)は自分で処理できるようになる。
周りに私の負の感情をなすり付けない。

 

以上、とてつもなく私的メモでした。

やることいっぱいだなー。
でもこの2年間は飛ぶように過ぎて行ったので後の3年半なんて一瞬で過ぎてしまうはず。何かの縁で与えてもらった、この時間と環境を無駄にしないように精一杯生きることが今のわたしがすべきこと。毎日前に進む。





ひとまず筆記試験終わり。

昨日で2年目の筆記試験終わりましたー。
あとは10日後の口答試験を残すのみ。

一年目と比べたら、慣れてはきたけれど。やっぱりテスト直前の絶望感と吹き出る弱音がまだまだコントロールできない。。修行が足りません。
余裕の笑顔で試験をこなせるようになりたいものです。

昨年の試験会場はめちゃくちゃ遠くて、2時間くらいかかる会場まで悪路をぎゅうぎゅう詰めの車でひた走る日々でそれはそれはきつかったのですが。(自分の大学で受けることはできない)
今回は会場まで1時間弱でそんなにストレスなく過ごすことができました。

インドの試験は3時間。とにかく書いて書いて書きまくります。丸暗記。
今回の会場は試験監督がゆるくて、まあカンニングがひどかった。

・昨年の試験用紙を持ち込んで(びっしり答えが書いてある)丸写し
・試験始まる前に机に答えを書いて丸写し
・もはや壁に書いてみんなで丸写し
・小さなメモに答えをびっしり書いて持ち込み
・トイレの鏡の裏に本を仕込んで、試験中にわからない問題があるとトイレに行きやぶって試験会場に持ち込み

・もはや小さな本を持ち込み
・試験中に話し合うのはもちろん(こそこそ話ではなく普通に話す)
・叫んで答えを聞く

などなど
彼らのDNAはすさまじいものがあります。隙あらばカンニング!
そして、カンニングは一つの技術だとなぜか誇らしげ。
何個かの試験は、周りがうるさすぎて集中できませんでしたw(進級試験だよ…)

試験前に小さな暗記カードで薬の材料覚えていたら、クラスメイト(男の子)がやってきてその大きさカンニングに最高!貸して!って言われて。
渡したらパンツとズボンの間に入れてた…
そして試験終わったらこのおかげで点数あがったわ!ありがとう!
って汗とパンツでくしゃくしゃになったそれを返された…
もちろん、捨てた。


わたしはテスト中に聞かれたら教えますが、カンニングは嫌いなのでしません。

カンニングをしたら例えいい点数がとれてもそれを全く誇りに思えないし、いい点数も悪い点数も全てわたしの努力によるもの。試験に落ちたとしても、わたしの努力が足りなかったとかそこから学ぶところがあるので、それはそれでいいんだと思う。(ちなみに以前クラス内テストで一回だけ、数問隣りの子から教えて貰ったんだけど。そのあと罪悪感から健やかに日々を過ごせなくなったのでやめた…)

今回、私以外のほぼ全員がカンニングをする中で一人で問題に立ち向かっていて。あれ?むしろカンニングしてないわたしの方が間違ってるんじゃないか?とか思い始めるくらいの環境でした。
こっちでは手段は何でも、とりあえず試験に通ればすべてよし。という考え方のようです。他の大学もこうなのかなあ。だとするとアーユルヴェーダ医のレベルかなり低いんじゃ…?


周りに惑わされず、わたしはわたし。と軽やかに生きたいなー。

でもテスト中、書きまくって書きまくっても時間ないのにカンニングと試験を器用に両立するインド人生徒たち。ある意味すごい。