インドにいます。

2014年9月より周りに畑しかないインドの大学で(いちよう住所はデリー)伝統医学アーユルヴェーダを学んでいます。インド政府(ICCR)奨学生。 BAMS (Bachelor of Ayurveda Medicine and Surgery)という5年半のコースに在学中。現在最終学年。次の試験に受かれば研修医。こんにちは。

きっと、意味がある。

ここ最近、ちょっと色々あって落ち込んで落ち込みまくっていたんですが
久しぶりに考え込んだらなんだかすっきりしたので忘れないようにメモ。

まず、どんな経験からも必ず何かしら学べるということ。
それがいいものでも悪いものでも。
落ち込んでいるだけではもったいないし、時間の無駄。

この土地でわたしが直面している様々な困難や憤りや悔しさは
すべていい医者になるための修行なんだ、と気づいた。

わたしは人の言葉や態度に敏感で傷つきやすい。
敏感なのはいいところとも言える(細かい変化を見逃さない)
けど立ち直りに時間がかかるのはよくない。
患者さんが来た時にちょっといま落ち込んでるんでむりっす。
とか言えないし。

どうやって落ち込みから早く立ち直れるかは今後の課題。


それから、自分の気持ちを言葉にするのが苦手なのも改善していかなきゃいけない。

医者の仕事は、正確に診断し治療していくのはもちろんのこと
患者さんに正しい言葉で説明できなきゃいけない。
医者の言葉には患者さんの人生をも変えてしまうほどの責任がある。

ここを卒業して日本で活動をしていくとしたら、
医療行為はできないから人前で講座のようなことをする機会がくるだろう。
(たくさんの人の前で話すのめっちゃ苦手ーーーこれも改善しなきゃ)
伝えたいことをいかに分かりやすく、そして興味を持ってもらえるように伝えるかってめちゃめちゃ大事なはず。


今、留学生寮に11人で住んでて(寮っていうかもはやシェアハウスみたいな感じ)たくさんの人と常に一緒に行動しなきゃいけない(毎回みんなでご飯つくって、買い物に行って。。)
寮内でたくさんの問題が毎日のように起こり。
外に逃げ出したいけど周り畑しかなくて、カフェとかそんなおしゃれな場所ないからひとりの時間とか全然とれない。
…って感じでこの状況とてつもなく苦手なんだけど、、
でもこれって超前向きに考えればとてつもなく良い修行なのかも

全然違うタイプの人間を知ることができるし、
何か伝えたい時は人によって、話し方を変えないと意図していることを伝えられない。
人が怒って手がつけられなくなった時の対処の仕方とかめっちゃ学んだ。

わたし+ 2人同じ国 で話している状況でその国の言葉で会話される悲しさを痛いほど知っているので、もし万が一日本人が来たら(絶対に来ないことをおすすめしますが)その状況ではみんながわかる英語で話そうとか。


大学では、ほぼ全部ヒンディー語での授業だから、
わからない中でも少しでも何かを得ようとする姿勢とか(英語で授業受けられたらどんなにいいかと1000回くらい思ってるけど、授業ほぼ意味ないけど。他の外国人への教育が整った学校に行きたいと何百回も思ったけど)
独学の仕方とか。
他人と自分を比べないとか。


なにがいいたいかと言うと、
この土地の悪いところとか憤るところをあげたら1万個くらいになるんだけど、
その中でも必ずひとつくらいは学べることがあり
いい医者になることは知識のレベルが高いこと(もちろんこれは大前提として)だけではない。いかなることが起きても木のようにゆるがない、自分を確立することが必要で。
精神状態がゆらぎにゆらぎまくる出来事が毎日のように起こるこの土地は、その修行にぴったりだってことです。

この時にこの場所にいることに、きっと意味がある。