近づく終わりと葛藤
大変ご無沙汰しております。
2年くらい何も書いていなかったみたい。
色々あったなあ。なんだかんだ。
もがきあがいて最終学年になりました
残す進級試験はあとひとつ。
それに通れば曲がりなりにも研修医。
順調に行けば2年以内にここを去る。
入学時には、信じられないほど遠くに見えた卒業という二文字が見え始めている。
手に取れるかはわたしの頑張り次第。
でも、ここ最近は馬力が全く出ない。
怠け放題のだめだめ。
季節の変わり目で体調崩しまくってるっていうのもあるけど、
卒業した後のことを考えると疑問だらけで、歩みが止まる。
まず、わたしが今大学で学んでいるのはシラバスのアーユルヴェーダで、
伝統的なそれではない。
(試験にいい点数で受かる=いいアーユルヴェーダ医という訳では断じてない)
自分が”得たかった”知識がちゃんと得られてないことに対するもやもや。
あと大学病院で行われている治療は、基本的にアーユルヴェーダの薬を処方すること。
日本に帰った後に、薬を処方することができない私に何ができるだろうと考える日々。(インドではアーユルヴェーダの医師免許が使えるけれど、日本では使えない)
シンプルにターメリックとかショウガとかは使えるけれど、やはりできることはとても限られている。インドにいたら治せるものが日本では手を出せないという葛藤。
週末だけカラリパヤットゥ(南インドの伝統武術)の師匠のところで武術を学び、ちょっとばかり治療を見させてもらっているけど、時間が全然足りない。近年はお金を払えば1週間で1か月コースで何かが学べる時代だけれど、伝統はそうではない。
長い間師匠と共に過ごし、信頼関係を築き、鍛錬を重ね…それで認められたらやっと少しずつ師匠が弟子に教えてくれる。それは数ヶ月ではなく数年いや何十年の時間が必要。どんなに教えてもらいたくても学びたくても、何年も師匠の元にいても、資質が認められなければ教えてもらえないこともある。そんな世界だ。ましては私は外国人。
若いうちにこの世界に出会っていればと悔やむことも何度もあるけれど、時間は元に巻き戻せないし、人種は変えられないし、来世まで待てないので。今できることをやるしかないのだよね。
理論理論+安かろう悪かろうの政府病院で学べることは限られてるので
もっとアーユルヴェーダを実践的に勉強したいし、
カラリパヤットゥのレベルを高めたいし、
なんの道具もいらないマルマ療法をちゃんと学びたいし、
やっぱり卒業後もインドで数年経験を積みたいと思うけれど
卒業時にはほぼ30歳の私にはそんなに時間が残されていない。
インドに永住する予定はないし笑
なにより人生の大事な時期を犠牲にして、
劣悪な環境の中で学んだ知識で
人にしっかり貢献したい。
じゃなきゃ私が生まれて来た意味はない。
講師として生きる道もあるかもしれないけれど、
私は臨床で生きたいのだよなあ。
日本に戻るなら制約の中で何ができるか…
まだまだ答えがでないでいる。